メディア批判する側の無能と無知識
水面下で進んだ、中居スキャンダルをめぐる文春と他メディアとのつばぜりあいのほか、メディアの深部を知る沖田臥竜による今年一発目のインサイトレポート。
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年末に肺炎を重症化させ脇腹を骨折。熱がぐんぐんと上昇し、お陰様で正月明けは〆切に追われる日々となってしまった。年末に文春が報じた中居くんの記事が話題になっているが、そのことについても後に、誰も知らないメディアの動きについて書き記したいと思う。
しかし文春もどうなのだろうな。部数よりも大切な何かを失っている気がするのは、私の気のせいだろうか。あの松本人志がテレビから姿を消し、中居くんまでも文春の餌食となってしまった。いつからだろうか。過去の事件を掘り起こし、警察ではなく、週刊誌で「私刑」してもらうことに何の疑問も持たなくなってしまったのはいつからなのだろうか。憂いているのではない。それを受け入れる世論をバカだと思っているのだ。
例えばだ。メディアを批難するとき、多くの人間が「逮捕されたらあれだけ大々的に報じられるのに、釈放されたときは報じられない」と口にするが、その理由を私が述べてやろうか。
それは警察発表がされないからだ。話題性などではない。
テレビや新聞は警察発表されて、それを発信源に報じているのを知らないのだろうな。その観点から考えた場合、不起訴や起訴猶予で釈放されたことを報じないのは、警察が記者発表をしていないからだとすぐに気がつくと思うのだが、多く人はメディアの仕組みを理解できていないらしい。
誤解されがちだが、逮捕は話題性があるが、釈放は話題性がないということなんてないのだ。
批難するならば見当違いの批難ではなく、事実に基づいた批難をしなければ笑われるだけである。
テレビや新聞は、記者クラブにおける警察発表がない限り、事件を報道することはないのだ。それだけ慎重なのである。反対に釈放についても警察発表されていれば報道するだろう。そこのところをまず理解すべきだろう。
文春がフジの編成部長の動向を追い始めたのは、去年の12月の頭のことだった。今話題になっている中居くんの問題に着手した瞬間だった。
テレビや新聞に対して、週刊誌は警察発表とは関係がない。独自で動くのである。なぜだか分かるか。簡単である。そもそも週刊誌は記者クラブに加盟していない。同じメディアでも媒体によって体質が違うのだ。
文春が動き出したとき、年末の合併号狙いだとその動きを知った関係者らは分かっていた。少なくとも私は分かっていた。
そもそも中居くんが女性とのトラブルを抱えいたようだと業界関係者の間で話題になったのは、半年近く前。情報筋は〇〇関係者からだった……。それも固い情報としてーー。