ジャーナリズムの真髄とは?

週刊文春には「文春砲」があるように、その昔、ライバル誌と世間で言われていた週刊新潮には「新潮キャノン」と呼ばれるスクープ記事が存在していた。社風がそれぞれ違うように、週刊誌もそれぞれ独自の色があり、取り扱うネタも記事の書き方も異なる。
先日、取材元である人物と男女関係を結んでいたことを新潮に記事にされたジャーナリストがいる。彼は、その問題を訴えた相手と当時、不倫関係にあった。すまん、それでよかったのかと、私はずっと思っていた。悪いが、そんなヤツらの書く「真実」を、私は信憑性があるとは思えない。なぜならば、そういう人間そのものを信用できないからだ。信用できない人間の話を真に受けることなどできない。至極当然のことだ。総じて、そういう人間は自分に都合よく「正義」だの「ジャーナリズム」だのと、恥ずかしげもなく語るのだ。
その男に会ってみると、つまらない人間だった。私はその男の肉を焼きながら、つくづくつまらない男だと感じさせられていた。
返信はしていないが、友の死にお悔やみの言葉をDMしてきたので、その名をここでは語らない。ただ、登場人物が全て曲者ぞろいなのだ。私はこの構図を見ると、ある事件とどうしても重ねてしまう。悲劇のヒロインを装いながら、それを商売にするのは卑しい行為だが、それで男と女の関係になるのは、卑しさを通り越して下衆以下だ。