僻むくらいなら僻まれろ 

「僻むくらいなら僻まれろ」。シンプルだが、実は難解かつ実践が簡単ではないこの言葉。
その背後にある沖田臥竜の人生におけるこだわりとは?、そして、沖田が考える本当にあるべき人間関係とは? ある俳優との秘話とともに、楽ではないが、本当の充実を手に入れるための生き方の一端を覗いてみよう。
沖田臥竜 2023.08.13
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 人生はそうそううまくはいかない。いつかこけるときがくる、そのときまで待てば良い…みたいな言葉をたまに聞くが、それで何かが本気で報われると思っているのだろうか。人がこけたら助けてやれよ、こけそうになったら支えてやれよ。それが本来のあるべき姿なのではないだろうか。

 確かに嫌いなヤツがずっこけてくれれば、誰だってメシはうまく感じるだろう。ざまあみろ!とも思うだろう。

 でも、それだけのことである。他人が成功しようが失敗しようが、所詮は人のことだ。それで報われることなんてない。

 報われたければ、人ができない努力をするしか他に術はないのだ。

 理屈ばかりを並べて何もしない人間に限って、自分の無能さに気づけていないヤツが多い。

 それで幸せならば良いだろう。自分を美化できるならば、それほど安上がりなことはないだろう。

 だが、それで世間が認めてくれるかと言うと、世間は結果でしか判断してくれない。皮肉や妬みで文句仲間は募ることはできても、自分が一生懸命に頑張って結果を出さない限り、誰も相手にはしてくれないのだ。

 私は子供であれ、大人であれ、優しい人間が大好きだ。色んなものを抱えて、一生懸命になっている人間が大好きである。そしてどんな小さなことであれ、口にした約束を守ろうとする人間を愛しく思えるのである。

 いつも私は限界の中で生きている。いつもこれ以上はもう無理だと思う中で仕事している。なぜならば、満足をしていないからだ。 

 何気ない一言やそれを聞いたり見たりするとき、相手の狡さが見えたとき、感謝を台無しにされたとき、ひどい虚無感に襲われるが、それをいちいち指摘しようとは最近は思わない。

 口では綺麗事を並べて自分だけが得しようとしてる人間は、だいたいが内弁慶で、まず御託を並べて、自ら損をしようとはしない。

 そんなときに襲うのが、果てしないほどの虚無感である。まず自分の利益を考えているのだ。それを周囲に気づかれていないと思う人間がいかに多いことか。

 悪いがオレは違う。人に頼られたり困っている人間がいれば、たとえ自分が悪者になっても相手のためにやってやろうと思えるのだ。損もするときもあるだろう。だが人生は長い。死んでからも世の中は続いている。

 歳月が経ち、そこに気づかれたとき、人はそうした人間を信用し、評価するのである。

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