あれから一年、再び始まるジョニーとの日々

筆一本で築いてきた人間関係と、幾度もの現場をくぐり抜けてきた記憶。その延長線上に、また新たな物語が静かに動き出す。ジョニーとの再会、フクとの再始動、そして映像化へ向けた熾烈な日々。言葉を武器に挑み続ける覚悟と、それを支える情熱が、見えないところで確かに積み重なっている。今度はどんな物語が生まれていくのだろうか――。
沖田臥竜 2025.09.26
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 夏が終わり秋が幕を開けた。去年の暮れから動いていた作品の数々がこれから徐々に姿を見せ始める。

 ということはだ。ジョニーとの日々やフクとの時間が始まるということである。

 もう6年は前だろうか。フクから突然、届いたDMが全ての始まりだった。そこで知り合ったのが藤井道人監督、ジョニー、ゲンさん、フクである。もしも書くことを途中で諦めていれば、今の多くの人間関係は存在しない。もっと狭い世界で、狭い視野のまま狭尼崎の片隅で生きていたと思う。私には筆が最大の武器になった。

 週刊ポストにでも苦言を呈してやるか。ライターの鈴木某をゲストに呼んでYouTubeを始めても、何が面白いのだ。例えば、プロ野球を深く語るために、プロ野球に詳しいレポーターを取材した所で、何か本当に分かると本気で思っているのだろうか。それは取材の取材でしかないのだ。取材と経験では比べものにならない。圧倒的に経験のほうが上である。

 それが分からないからすまない。サカイには昔、酷い態度をとられたことがあるが、サカイらしくて良いよな。鈴木某がとある若手の映画監督に大勢の前で罵倒され、若手の映画監督が社会的に大顰蹙に遭い、痛烈にバッシングされれば、突如、鈴木某が何年も前のことを持ち出してきて、その監督をTwitterで責めたてたときは、本当に哀れであった。それで何か報われるのだろうか。救われるのだろうか。

 大勢になると急に元気になり、舌鋒鋭く筆で攻めたてるような書き手を少なくとも私は軽蔑している。

 私はいつも大勢に攻めたてられている側でいつも筆をふるってきた。ジャニーズ問題、ダウンタウン松本人志問題、中居問題しかりである。いつも逆風の中で筆をふるってきた。その間で寝る間を惜しんで物語を描いてきたのだ。

 ネット文化と言えど、全ては文字によって形成される。つまり文字から始まるのだ。だから言うのである。筆を握れば、私はもう誰にも負けないと。ましてや全てをわかったようなフリーライターや、60を前に母親と実家暮らしの気取ったつもりのオタクライター編集者などには陰口しか叩かせない。

 いつか筆を置くときには自分自身だけは、よく書いたと言ってやりたいと思っている。

 あれから一年である。再びジョニーとのサイドストーリーが幕をあけようとしている。

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  • 書き続ける理由、戦い続ける現場

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