振り返る日々
この原稿を執筆しているのは、七夕である。品川駅の着時間をジョニーにLINEすると「急ぎますけど、ギリギリかもー」みたいなLINEが届き、絶対に間に合わないことを瞬時に悟る。
「えっ〜B型ぽいですかね〜」
ジョニーをB型と言わずして誰をB型というのだと思うのだが、本人に自覚はないらしい。それがB型ぽいのだ。
七夕といえば思い出すのは、今から三十数年前の十代の頃。今でいう東京リベンジャーズの世界に身を投じていた私は、毎年懲りずに七夕に族車に跨り、暴走行為を繰り返していた。
私たちの間では七夕に暴走することを「たなぼう」と呼んでいたのだが、とにかく本番のたなぼうまで、みんな遅くまで単車の改造に明けくれるのである。
近所の至るところで、みんなが単車をいじっていて、この雰囲気がどことなく私には文化祭の準備と似ていて、たまらなく好きだった。まあ、文化祭とは違い、身体がかかっていたのだが…。ちなみにクリスマスに暴走することを「クリボウ」と言って、18歳の「クリボウ」を最後に暴走族から引退するのが、私の地元では通例であった。
あれから、もう三十数年も経つのかと思うと、時の流れの早さにぞっとするが、今も変わらず、一緒にCBXをいじっていた友人のカートンたちとメシ食ったり、映画に行ったりしてるので、変わっているようで何も変わっていないのかもしれない。
ただ、出会いと別れがあるだけだ。その出会いが世界を広くしてくれたり、別れが心を寂しくさせたり、その繰り返しが歳月によって彩られているのかもしれない。
18歳の年の7月。たなぼうが終わり、カートンと私の家で仕事もせずにぶらぶらしていると、家の電話がなった。私が未解決事件を初めて身近に感じたのはこのときだった。
以下は「未解決事件ファイル」からの引用である。
1993年7月7日午前2時30分ごろ、兵庫県尼崎市上ノ島町の駐車場で、女性の焼死体が発見された。女性は大阪府伊丹市御願塚に住む無職・川田美佐和さん(当時19歳)と判明。川田さんは全身を複数回刺された後に油をかけられ、燃やされたとみられている。川田さんの体は毛布で巻かれており、毛布からはガソリンの臭いがした。その後の捜査で、遺体を焼く際に特殊な塗料溶剤が使われていたことが分かった。溶剤は3~5リットルほど使用されたと見られている。また、川田さんが身につけていた財布が入ったウエストポーチがなくなっていた。この他に現場からは焼け焦げた使い捨てライターや軍手、たばこの吸い殻などが見つかった。近くの公園では川田さんの赤色の自転車も見つかっている。 事件発生の前日午前0時頃に、川田さんは何者かに電話で呼び出されて外出したことが分かっていることから、川田さんの交友関係を中心に徹底的に捜査を行った。しかし、川田さんの交友関係がかなり広範囲だったこともあり、犯人につながる有力な手がかりを得ることはできなかった。事件発生から15年後の2008年7月7日午前0時に公訴時効が成立した
記事にあるように結局、この事件は解決しなかった。ネットのない時代の街の噂では、「犯人は暴走族で警察は尼崎の暴走族を徹底的に調べている」と囁かれたが、私はそれが間違いであることを知っていた。なぜならば、私が刑事から「何か知らないか」と聞かれ、「この写真の男たちを見たことないか」と見せられた数枚の写真の男たちは、どこから見てもヤクザ風のおっさんで、鮮明に覚えているのは、パンチパーマの男がどこかでカラオケを興じている写真であった。
オカンから家に電話がかかってきた時、私はひどく勘違いして、瞬時に狼狽えた。
「あんた先週の七夕の日、何してたん!今、店に刑事さんが来てるから、今すぐ来なさい!!」
七夕と言えば「たなぼう」をしていた。それが警察にバレたと思った私は「嫌じゃ」と短く言い返し、カートンと即逃亡の準備に入ろうとしたが、オカンの勢いに圧倒され、家から歩いて5分の場所にあるオカンがやっていた居酒屋に、カートンとトボトボと出向いていったのだ。
「絶対、(嘘を)言い張れよ!たなぼうバレたら、絶対に次は年少やからな!」
「わかってる!絶対に言い張ろう!」
カートンが力強く頷いた。若気の至りというヤツで本当にすまない。