哲学書やノンフィクションからは学べない理屈
喋ればネットニュースになると、TVで怯える芸人たち。ネットニュースに取り上げられたとお祭り騒ぎになるYouTuber。
なのにアルゴリズムの影響で、軒並みネット媒体が激しい衰退へと追い込まれてしまっている現状。さていかにである。
ただ一つ言えることは、それぞれ仕事でやっているということだ。それ以上でもそれ以下でもない。立場が違うのだ。そこを理解しろと言ってもそこは無理な話しだろう。だがもう少し相手を慮れば、改善されることもあるのではないだろうか。
すまぬが私は幾度となく、芸能人や著名人の間に入り、週刊誌サイドと交渉や折り合いがつかないか話し合ってきた。なぜ私がそんなことを出来るのか。それは何も難しいことではない。週刊誌でも仕事をさせてもらっているので、週刊誌サイドの立場や気持ちが理解できるのだ。仕事しているではない。仕事をさせてもらっているのだ。仕事をさせてもらっている側も仕事をしてもらってる思えれる関係性は尊い。金を払えば、暴露が止まるなんてバカバカしいナンセンスである。私が生きてきた世界は、最後にものをいうのは暴力であった。
えらく怯える対象が変わったようで、平和になったのだろうかとふと思うことがある。
さて問題である。例えば歴史的に有名な哲学書は誰が書いているのか。答えは経験者である。その仕組みを理解してみると、娯楽性以外の側面が哲学書やノンフィクション本にあるだろうか。答えは明白である。身も蓋もないことを言ってしまうが、あるわけがない。