振り返ってみてもーー

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ずっと感じていたことがあった。あの頃はもっと書いていたとずっと感じていた。とにかくあの頃を超えなければと思っていた。だけど、今ならはっきりとわかる。今の方が書いているとーー。
小1からずっと塾に通わされていたが、勉強なんて一度もしたことがなかった。だったら何をしていたのだと言われそうだが、簡単である。邪魔をしていたのだ。
「なあ!怖い話してや!」
これのみである。そのとき聞いた怖い話は、多分、全部、覚えている。オレは人と違うんだなーと思い出したのは、いつからだろうか。
それまで、みんな惚(とぼ)けていると思っていたのだ。
「ほら、あのとき、ゆうてたやん!」
というたびに、「覚えてへんわー」という言葉が相手から返ってくると、忘れたフリをしているんだと思っていた。
どうやったらそんな簡単に、過去の記憶を忘れることができるのか理解できなかった。
でも次第に分かったことがあった。惚けているのではなくて、本当に忘れているのだと。
その反動だろうか。人と交わした会話を忘れないのだが、覚えないものは一切覚えない。
道や人の顔、食べ物や建物の名前。何だったら、「インフォーマ2」の撮影でずっと滞在していたバンコクのホテル、空港の名前なんて覚えていないというよりも、始めから覚えなかった。情報をインプットしすぎるのが嫌なのだ。
焼肉なんてよく行くが、塩タンとホルモン以外は一切、名前と部位が一致しない。
カルビとロースの違いも知らない。
なので、私は物語を作るとき、いつも1番得意な会話で勝負している。余計な描写なんて極力、書かない。
これだけ本が売れない時代に、求められているのは何か。読みやすさである。なぜ面白いマンガは読まれるのか。それは読みやすいからだ。読みやすさとは、わかりやすさで、文字数ではない。
昔は小説と言えば、8万〜10万文字であった。
今の時代を考えてみて欲しい。なぜTikTokが流行っているのか。
文芸界も嘆くばかりではなく、今の時代に沿った改革が必要なときに来ていると思う。固定観念をぶち破ることで、いつの時代も道というのは開けていくのだ。
もっと読みたいと思われるくらいの文字数が、今の時代にコミットするということに、私は気がついている。
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