書く日々

少し前に世間を賑わせた話題が、時が経てばすぐに忘れ去られていく。誰かを糾弾し、集団で叩き、やがて沈静化すれば次の標的へ——。メディアに踊らされる大衆の姿。仕事に追われながらも、筆一本で道を切り拓き、他人を妬む余裕すらなかった沖田臥竜は、そこに強い違和感を感じざるを得ないのだ。
沖田臥竜 2025.04.06
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 中居・フジ問題もあっという間に過去のものになろうとしてないか。あれだけ騒ぎ立てたメディアとそれに群がるネット民に辟易させられる。

 結局、なんでも良いのだ。善人ズラして大勢で罵倒できれば、何でも良いのだ。日頃、マスコミを批判している大衆すら、そのマスコミが発信することに一喜一憂し、ネットで騒ぎ立てるのである。それを健全と言うならば、世も末ではないか。人様の文句を言う暇があれば、自分自身の人生をもっと頑張ったらどうだと思うのだが、言われなくともそれが出来るくらいなら、頑張っているはずだ。どの時代にも人の不幸で満たされる人種というのは必ずいて、何かあれば、全て人のせいなのだ。

 それが私には不思議でならないのである。例えば、何かあると猫も杓子も総理大臣のせいにしたり、後任がいないとしたり顔で述べたりするが、だったら自分が立候補して総理大臣になったら良いのではないかと思ってしまう。実際、どれだけ頑張ってもなれないだろう。なりたくないと言い出す人間だって出てくる。だったら黙っているしかないのだ。私は自分の人生を人のせいにはしない。全ては自分に起因すると考えている。当たり前ではないか。自分の人生をなぜ他人に委ねなければならないのだ。コンプライアンスだってそうだ。

 大勢で1人の人間を叩くことには、何の疑問も持たないのか。 私に言わせれば、コンプライアンスなんかよりも、そっちの方がよっぽど、人として不健全であり、蔑むべき行為だと思うのだが、どうだろうか。

 さて、私事でいえば、今年に入り、人生で一番、仕事しているのではないだろうか。

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