河合塾文化講演会
使い古されたありきたりの言葉を嫌い、「自分の人生しか語らない」という沖田の生き様は、受験生たちの胸にどのように突き刺さったのだろうか――。

イチローは元気にしているだろうか。バンコクで通訳をしてくれた青年のことである。
バンコクから帰国後、息つく暇もなく、河合塾で文化講演会を2時間ノンストップで行ってきた。2時間、休む暇もなく受験生に話し続けたのだ。中卒の私がである。それだけでも少し面白い。
「一緒にがんばろう!」だの「みんなで合格して喜び合おう!」だの使い古されたありきたりの言葉なんて、聞いていて面白いだろうか。私が受験生だったら多分、飽き飽きしていることだろう。
私はいつだって、私の人生しか語らない。それは私が作り上げてきた自分だけの世界だからだ。自分を手放しで「すごい」とも思わないし、自慢話を話すのも聞くのも大嫌いだ。いつだって、苦しさや葛藤と共存しながら生きている。私の人生なんていつだって、良いことよりも、不安や心配の方が圧倒している。だが、それをいちいち言葉にすることはないし、世間は結果で人を判断するものだ。
ならば、必然的に世間が耳を傾けたくなるだけの結果は出さないとならないだろう。単純な話だが、結果を出しているから、私だって講演会に呼ばれたりするのだ。それと人間性だろう。人の良さは武器にも弱点にもなるが、私のような人間から人の良さをなくせば、何が残るだろうか。人ができないことをやって、人の良さがあるからこそ、そこに魅力が生まれるのではないだろうか。
心が折れて、くたびれたとき、自分自身を支えてくれるのは、能天気さや持って生まれた気性ではない。頑張って作り上げてきた自分の足跡だ。
そんな私が、何を話そうとかあまり考えずに登壇したのだが、講演が終わったあと、受験生の真っ直ぐな眼差しに、いつしか元気を貰っている自分がいることに気づかされたのだった。