人生に「自分だけの武器」を
ただし、暴露話をしたいのではない。そこにかかわる人々の「人間性」や「志」を問いたいのだ。そして、そこまで言ってのける沖田自身が、この業界に求められてきた最大の理由を知ってもらいたいのだ。それこそが「自分だけの武器」を持つことの重要性につながるのだ――。

監修を務める映像作品の撮影現場に向かう車中での一コマ。本音では行きたいないが、でもやはり、そこに向かってしまうのだった――。
プロデューサーといえば、少し偉そうにしているイメージがある。実際にそれだけ偉いからだろう。
だが、これまで私が仕事で関わったプロデューサーはみんな良い人が多く、偉そうにしてくる人はいなかった。しかし、初めてではないだろうか。アメリカに直接、雇われているかなんだか知らないが、あそこまでプロデューサーという肩書きにあぐらをかいているようなヤツは。
「これだけは分かってください。私は謝りに来たんです」
一度、席を立ち、頭を冷やしてきたというアメリカかぶれは、そう言って席についた。
私も制作にかかわる作品の撮影現場で、ある俳優がヤクザの名前を出してきたのだ。それも自分が、その場で優位に立つためだけにだ。それに対しては、その後、所属事務所から謝罪があったので、私を事実を公にせず、目を瞑った。なのに、それを蒸し返したのは、ある俳優である。
それなのに、私はその作品の制作現場では散々な扱いを受け、「もう行きたくない」となったのに、スタッフに食いさがられ、さすがに「おかしいやろう」と言えば、呼んでもいないアメリカかぶれがやってきて、「好きにしてもらって結構です」みたいなことを言われて、黙っていると思うか。すまんが、私は黙っていない。有料記事を読んでいる人はもう知ってると思うが、吐いたツバを、飲ますようなことはさせない。
コンプライアンスに関する過程の中で、私への失礼の度が超えたのだ。正式に謝罪をしている? それが向こうからあれば、私だって溜飲を下げただろう。しかし、どうだろうか。
その俳優はアメリカ志向が強いというが、アメリカがそんなに凄いと思うのならば、アメリカに行って勝負すればいいだろう。全然、かわいそうでなければ、呼ばれてもいない人間が横柄な態度をとったお陰で、結局、ことの発端はなんだったのか、となっていくのだ。
一度でも「好きにしろ」的なことを私に言えば、もちろんその通りにするに決まっている。
すまないが、私は銭金で生きていない。落としどころなんてない。ただ、余計に気分を害させたのならば、ちゃんと「先日は本当にすいませんでした」くらいのことは向こうから言ってくるべきではないのか。それなのに、アメリカかぶれのプロデューサーは、呼ばれてもいないのにやってきて、話しをややこしくさせ、開き直るのである。
メディアコントロールの仕事などをやっているとよくあることだが、問題の当事者たちは、ことが起きてから慌て出すのである。吉本芸人の闇営業問題だって実際そうであった。転がり出してから、慌ててももう遅い。
私のような危機管理のプロにとっては、そもそも何も起こさないことがいちばんの成果なのだが、そのプロの力によって危機を脱した当事者は、得てして、自分自身に実際に不祥事が降りかかってこなければ、私のような立場の人間に感謝できないケースが多い。すまん。愚痴である。それでも現場に呼ばれて、新幹線を2時間も待たされてみろ。1ミリも行きたくない地方の現場から帰るために2時間待ちだぞ。愚痴ぐらい言いたくなって当然ではないだろうか。
それにしても、プロデューサーという肩書きがそうさせているのだろうか。私のことを全く理解していなかった。
どうして、私がこのように仕事できているか。大手芸能事務所に気を使ってばかりで、少しも考えが及んでいなかったのだろう。だったらせめて謙虚さくらいなければ、周囲が迷惑するのではないか。私はそう思うがな。