継続を仕事にかえる力
自らが切ったネーム
散々な日であった。キューズモールに隣接する駐車場に車を止めて、JRを使い新幹線に乗ろうとしていた。たださえ約束の時間ギリギリであった。
車を停車させると、2人のご年配の女性が駆け寄ってきた。話を聞けば、駐車場に閉じ込められてしまいJRの駅まで行く事ができないのだと言う。
「大丈夫ですよ。私も今から駅に行くので案内しますよ」
いつからだろうか。私はこんな言葉使いを流暢に操れるようになっていた。ただ、めちゃくちゃ急いでいたのだが、人に親切にする事は良いことだ。気持ちだって良い。母親とあまり変わらない2人組のご年配のご婦人方に「ほんま神様やわ!」とか言われながら、改札へと続くエレベーターまで、顔面に笑みを張り付かせてエスコートしてみせた。
そのまま、2人を改札まで案内すると、みどりの窓口へと急いだ。
「接触事故でダイヤが乱れてますので、余裕を持って乗車券を発行しますね」
完全に遅刻が確定した瞬間だった。それでもオレは思った。徳を積んだばかりだ。良い事が起きるに決まっているではないかと、なんだったら、たかまで括っていた。だが、余裕を持って発行された乗車券の時間に間に合わなかったのだ。
それでも私は新幹線に乗るために人混みの中を全力でかけた。そして49歳を目前に控えてこんなにも転ける事があるのかっていうぐらい、足を滑らせて転倒してしまった。全身に激痛が駆け巡ったが、すぐさまむくりと立ち上がると、また駆けた。恥ずかしさなんて微塵もなかった。私はそんな次元で生きていない。ただとにかく全身が痛かっただけだ。そして新幹線に間に合わなかった。
「ハッハハハハ〜、コケたんですか〜」
ジョニーのあの憎たらしい笑顔とセブンイレブンでコロッケを入れ忘れた無愛想のバカ女の顔だけは、きっと忘れることはないだろう。
良いことをしたからといって、それが返ってくるとは限らない。親切にしても伝わらない人間には伝わらないのと同じだ。そんなことはどうでも良い。ただ、努力して身につけたものは違う。私はそれを経験から学んできた。
小説家になろうと思ったときから、私の戦いは始まった。7年間は1日も欠かすことなく、読む、書く、写すをひたすら続けた。これが私の基礎になった。そしてまた新たな戦いへと挑み始めている。マンガのネームを切れるようになろうとしているのだ。マンガ家になるのが夢だった…なんてウソでも言わない。
「自分のラジオを持つのが夢だった!また夢が一つ叶った!」
バカではないか。夢とか気持ち悪いことを簡単に口にする事のできるヤツは決まって節操がない。皇治の事なのだがな。口先で渡れるほど世の中は甘くはない。
だが信頼で築き上げた人間関係は違う。夢という言葉を使うならば、こうである。
まさか「ナニワトモワレ」や「ファブル」で知られる人気マンガ家の南勝久さんにネームの切り方を教えてもらう事になるなんて、夢にも思わなかった。