作品を生み出す力とそれを世に羽ばたかせてくれる力
松本人志問題を見るまでもなく、週刊誌ジャーナリズムの衰退は激しく、それで糊口をしのごうとする出版社や出版業界の喘ぎは止まらない。そんな中で漫画や小説の映像化も出版業界の活路のひとつだったが、そこでも不幸な出来事が起こった――。
筆を握り、文芸の世界で生きていくと決めた沖田臥竜にとっても、これらのことについては、当然、深い思いがある。
筆を握り、文芸の世界で生きていくと決めた沖田臥竜にとっても、これらのことについては、当然、深い思いがある。
沖田臥竜
2024.02.01
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その昔、終わった話を蒸し返すなという言葉があったが、気のせいだろうか。話をぶり返すんかい!という言葉もあったように思う。
はっきり言ってネットはクソである……ただネット民はもっとクソである……すまない。呪術廻戦を見始めて影響を受けてしまったのだ。忘れてくれ。
ここからは禁断の話とシリアスな話をするので、有料会員限定にさせてもらう。
ただ、一言いえば、あの人の素性を割ったのは私である。それは過激過ぎるメディアがそのように仕向けたのではないのか。
例えば木原事件で記者会見を開いた元取調官の人。再々捜査が行われ、事件性なしという判断が司法によって下された。記者会見に出たときと同じような気持ちで、自分の行動に疑うことなく今もモチベーションを保てているだろうか。それならば良いだろう。それも自分の選んだ道だ。
しかし、もしもだ。文春が記事化しなければ、もっと言えば、取材への協力を求めなければ、今のような風潮を作っていなければ、心穏やかに過ごせていた人々もいたのではないか。私はそれを文春側が作った罪だと言いたくなってしまうのである。