スクープ記事が自らの衰退を招く―松本人志問題とジャニーズ問題

売らんかなという歪んで理念で、他人の人生をどん底に突き落とし続ける週刊誌のスクープ記事。それらに違和感を感じる者は少なくないものの、明確に異を唱え、戦う姿勢を見せている人間はほぼいない。だが、そんな異常な状況にはっきりと「ノー」を突きつけなければ、社会も個人もより退廃していくのではないか。だから、今日も沖田臥竜だけは言い続けるのだ。
沖田臥竜 2024.04.13
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 果たしてだ。人の不幸で報われることなど本当にあるだろうか。報われるというのなら、清々しいくらい卑しい人生であるまいか。この世の真理を一つだけ教えておいてやろう。なんでも良い。どんな職業でも良い。頑張らない限り、人生が報われることなんてないぞ。

 私は筆の力で全てを黙らせてきた。例えば、私が私に付けたペンネームは、筆の力で世の中へと広めてきた。これが事実である。書くということは至極大変な作業であるが、それを続けてきて感じることは、もう文章において、私が負けたと認める書き手はいないということだ。私は小説にしろ時事ネタやコラムにしろ、何もないところからそれを生み出し、文字で読ます腕を持っている。

 だが、スクープ記事は違うだろう。極端な話し、3流ライターでもネタさえあれば話題になる記事を書ける。

 つまり、文才などなくてもできる。だからこそ、ネットがここまで栄えたのではないか。それは素人ですら話題があれば、フィーチャーされるからだ。そこに文章の技術など関係しない。ある意味、楽な商売である。 

 それだけ大変な取材をやっている!とバカは言うだろうが、だからバカなのだ。それを誰でもできると私は言っているのだ。文春陣営も松本人志問題をやはりやるべきではなかった…と感じたこともあったのではないか。少なくとも私はやるべきでなかったと思っている。なぜか。普通に考えて、ジャニーズ問題も松本人志問題も、いつの話をしているのだと当たり前に思うからだ。

 結果として、スクープそのものに快楽を抱く層を拡大させてしまったのではないか。本質的には、人を裏切り、傷つけることに躊躇のない暴露系YouTuberと何が違うのだ。

 週刊誌ジャーナリズムが聞いて呆れる始末である。

 「このネタ週刊誌に売って金にしようや!」

 最低の行為をする奴らに、そんなふうに軽々しく言われること自体、本来、恥なのだぞ。

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  • 人として愚かで醜い行為であることに気づかない人たち

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