「インフォーマ」重版までの道のり

ドラマの撮影現場には、各所からさまざまな差し入れをいただくことに
師走である。坊主ではない私も走り回っているのだが、小説「インフォーマ」(サイゾー文芸部刊)が発売され、重版がかかった。喜ばしいことである。
だが、まだまだ想定内である。ここから雪だるしきに転がっていけば、「これはもしかして来たか?」と思うかもしれないが、現実はそんな甘くないことを知っている。
なので、重版の一報にも浮かれることなく、別作品の監修作業をやりながら、ボランティア原稿の真っ最中であったりする。ボランティア原稿とは、報酬などはもちろん発生しない。労力とその後に続く作業を考えるとマイナスしかない。ならばなぜ書くのか。単純である。お願いされたからだ。
小説家として、ある俳優にお願いされたのだ。そもそも人に親切にすることに、本来、理由などいらないのだ。
世間を見れば、くだらない損得や承認欲求で溢れかえっているが、本当にすごい人間というのは、その凄さの全ては知られていない。だが自分だけはしっかり理解しているのだ。自分は特別な存在なのだということを。だから凄いのだ。
これは、小説「インフォーマ」の中でも書いたセリフだが、ただ、今見ている世界が全てではないことを知っているだろうか。何も飛躍的な話しをしているのではない。物事には目に見える表があるように、そこに至る経緯といった裏側が存在する。
その裏側を全て世間に曝け出す必要もなければ、世間は上っ面だけで良くも悪くも判断している。
なぜならば、それで充分に満たされるからだ。深く考えずとも快楽すら覚えてしまうことができるからだ。
だが私は、まず上っ面だけで一喜一憂するようなことはしない。なぜそうなったのか、を自分ならの答えが出るまでは考える。そして、間違っても、「分からない」ということにはならい。だいたいの推測を立てることができるのだ。
ここからは「インフォーマ」が出来上がった裏側について書き述べていきたいと思う。一応、普段では書くことないこぼれ話である。