沖田臥竜の生き方ー苦労をプラスにする哲学
中卒で、社会の底辺を味わいつつも、ここまで駆け上がってこられた裏側にあったのは「苦労をプラスにする哲学」。それはいったい何なのか?
人生を47年やっていて分かったことは、悩みは尽きないということだった。
振り返ってみると私は若い頃から、不出来だったゆえに、しなくても良い苦労や過ちをひたすら健気に繰り返してきた。こんなはずじゃなかった…こんな人生にするつもりはなかった…20代から30代半ばまで、ずっとそう思い続けて生きていた。
それはそうだろう。10数年も3畳ひと間の生活を強いられていたのだ。ありきたりの普通の生活が嫌だったはずなのに、恋い焦がれていたのは、ありきたりの日常だった。
完全に終わったな、と21歳にして考えていた。ただ、それでもどこかで諦めきれない自分も存在していて、真面目に生きるとはどういうことか、努力とは一体何なのか、と真剣に考えるようになったのは、いつだっただろうか。
どうせダメなら、やるだけやってみよう。当たり前のことを、人が真似できないくらいまでやってみて、それでダメだったらまた頑張れば良いと考えるようになった。でも漠然となんとかなるだろうな、と思っていた。
そして今の自分になったのだ。満足なんてしていない。だが、どん底からここまでやってきたのだ。よくやった、とたまに思うことがある。
それは結論的に言えば、諦めなかったからだろうし、人と同じ価値観で世間を見るようなことはしなかった。
この先の人生、何が待っているかはもちろん分からないが、それでも人がそう容易く真似できない当たり前のことをやり続けているのはだろう。