YouTubeドラマ『死に体』サイドストーリー

12月24日、YouTube上で『死に体』が公開された。
沖田自らが筆とメガホンを取り、すべて手弁当で、木下ほうかのために作り上げた作品。
それにしても、なぜ、そんなことをするのか? なぜ、そこまでしたのか?
本人が語る、『死に体』誕生までの物語。
沖田臥竜 2022.12.27
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YouTubeドラマ『死に体』より

YouTubeドラマ『死に体』より

 クリスマスに請求書を作成している。なんと言うか今年もよく働いたよな、と思うのだが、効率的にはどうだっただろうか。

 イブには、ショートドラマ『死に体』のエピソードゼロが配信されたので、先日の別件の読売新聞の取材から続いて、文春を始めとしたメディアから取材依頼が立て込んだ。ただ、今、私が応えれることはないので、取材は別件も含めて辞退させていただいている。とにかく忙しいのだ。

 ただ、私がYouTubeのショートドラマを木下ほうかにお願いされて、ノーギャラは当たり前で、持ち出しで作ったことに、そんなたいそうな理由はない。

 そもそも、困っている人間にお願いされ、親切や一生懸命になることに、いちいち理由がいるだろうか。そこの是非ついて、私はあまり頓着しないようにしている。

 文春に報じられたあと、木下ほうかは口を開くと「死にたい死にたい」と言っていた。

 そのほうかが「やっぱりボクは俳優バカなんです。お芝居がしたいんです。お願いします!」とお願いしてきたのだ。はっきり言って私とほうかの関係性は、何もない。世話になったこともないし、どちらかと言えば、世話してきたほうだ。

 『ムショぼけ』の放送中、関西に来たほうかをロケ地として使った関係先を周り、たらふく酒を飲ませ、ご馳走した。新地のクラブにも行き、最後は大阪ミナミの皇治選手の店にも連れていった。一晩で40万は使っただろうか。それでも、別れたあと、一言のお礼もなかった。もっと言えば、『ムショぼけ』の撮影がコロナで延期になったとき、Twitterで「台本捨てた」と投稿し、それがYahoo!ニュースになってしまい、どうにかリスタートを切ろうと頭を悩ませていた制作スタッフを「なに?」とピリつかせたこともあった。そのときに、『ムショぼけ』のプロデューサーに文句を言ってきたのが、文春でほうかの件が報じられたあと、すぐさまほうかを解雇した事務所の社長だ。

 そのときにほうかに連絡し、穏便におさめたのも私である。

 今だから言うが、文春が木下ほうかのMeToo問題を報じたとき、監督で俳優の榊英雄氏から始まったのだが、そのときにほうかが相談してきたのも私だ。

 私はそのときから、気心の知れた文春の記者に「どうにかならないか」と相談することになった。

 ほうかの件が記事になった際は、違う媒体の記事を私が頼んで消してもらい、文春サイドとも、「出てきてもらえれば話を聞けますよ」とまで、話を進めていたのも実は私だ。その際には、私も同席するのでほうかの話もしっかり聞いてやってほしいと、文春サイドにお願いしていた。

 私は小説家を志し、20年を過ぎたが、小説だけで食べれるほど、出版業界は甘くない。本気で小説だけで食えている書き手は、今では30人ほどではないだろうか。だから週刊誌の仕事もするし、ネット媒体の仕事だってする。その合間で、寝ずに小説を書くのだ。それが凄いとか凄くないとかの話ではない。嫌ならやめれば良いだけだ。だが、私はやめていない。書くのが辛くて苦しくて、もうやめじゃ!と思うことは、しょっちゅうだが、やめていない。

 ただ、仕事として、生きていくために、ネット媒体や週刊誌の仕事をしているので、週刊誌側の立場や気持ちだって、自然に理解している。

助けてほしいと言われれば、私はほっとかない

 ほうかとは、何一つの利害関係もなかったが、ほうかに頼まれて、文春サイドともやりとりをし、文春サイドから「我々も人間なんで、出てきてくれたら話はしっかり聞きますよ」と言われ、ほうかに「オレも同席するから、いっぺん席ついたらどう?」とほうかに促したのも私だ。それを「出ないでください!」と指示したのは、『ムショぼけ』の撮影が延期した際に、誰が悪いわけでもないのにもかかわらず、プロデューサーに文句を言ってきた事務所の社長だった。

 ただ、私はそれを薄情だと言いたいのではない。非難されることでもない。なぜならば、悪いのは、ほうかだからだ。ほうかが事務所の指示に従い、その後、解雇されたからと言って、責めを負うことはない。ただ、申し訳ないが、私は違うという話なだけだ。

 ほうかに限らず、一度でもメシを食い、笑いあったことのある人間に、助けてほしいと言われれば、私はほっとかないと思う。それによって、損して腹の立つことも多いが、客観的にみれば、だからこそ私はいざと言うときに頼りにされるのかもしれない。それに私自身が聖人君子ではない。人様を非難できるような人生を送ってきていない。ただ、誰に理解されなくても、私には筆があって、文章を作れる力がある。それに、私自身が私のことを見損なわなければ、それでも良いと考えている。

 ただ、私が動くときには、さまざまな戦略を考えるし、人が真似できないことをやろうとして見せる。ただ、それだけだ。

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